| TOPICS 6 |
| 誰が替えた 氣 と 気 |
| 「氣」。これは誰もが知っている言葉です。 人間や動物や植物が発する「氣」。 元々、氣という概念は東洋から来たもので、西洋にあったとは聞いたことがありませんね。 東洋といっても特に「氣」というパワーを数々の独特の「道」の根幹をなすものとして位置づけた民族は、日本以外他にはいないと思います。 このことは、つまり日本人の感性が、世界に類を見ない程、洗練されたものであったということなのですね。 「氣」は、日本の文化の隅々まで浸透し、上流階級や庶民の日常生活に溶け込んで無意識のうちに扱われてきたのです。 つまり、「氣」という語を使った言葉は、私達の身の回りに溢れるほどに存在しているということです。 「氣力がある」、「やる氣がある」、「あの人は氣性が良い」、「氣量が大きい」、「覇氣がある」、「のん氣な人」、「陽氣な人」、「陰氣くさい」、「活氣がある」、「殺氣を感じる」、「氣合いを入れる」、「氣配を感じる」、「氣配りをする」、「氣が楽」、「人の氣を引く」、「氣にいらない」、「氣に喰わない」、「いや氣がさした」、「氣分がいい」、「氣持ちがいい」、「氣まずい」、「あの人は氣まぐれだ」などなど。 切りがありません。 これほど私達は、「氣」という環境の中に生きているわけであります。 それなのになぜか、「氣」というものに「氣」が付かないのです。 なぜなのでしょうか? 良く言えば、「氣」の中に溶け込んでしまっている。 悪く言えば、「氣」がヌケテいる・・・からです。 今の風潮からいくとどうも後者のようです。 では、原因(?)は? 戦後の教育とか、いろいろ上げられますが、一つに「文字」の問題があります。 「氣」という文字にお「氣」付きになられましたでしょうか。 現在、当用されている文字は「気」であります。 「氣」と「気」は全く正反対なのですね。 つまり、「氣」の根源は「米」にあります。米といっても、今私達が食べている白米ではなく、玄米のことです。 玄米にはたくさんの栄養分が含まれています。 昔の人は、玄米を食べて「氣」が満ちあふれていたでしょうね。 玄米は固いですから、現在は圧力釜で炊いて柔らかくしますが、昔はムシャムシャとよく噛んで食べました。牛みたいに。ムシャムシャムシャ・・・・・・・・ それで「コメカミ」と言うのですね。 よく噛むことで顎もよく発達し、脳に刺激を与え感性も豊かになるのですね。 牛みたいにと言いましたが、何度も反芻する牛の肉は、人間の身体には一番良いのです。この話は後日にします・・・・・・・・。 「氣」と反対に「気」は「〆切」と書きます。 これでは「氣」のパワーを封じ込めてしまうことになります。文字の簡略化どころの話ではありません。 「氣」を「気」としたところに政治的意志が働いていたのかどうかは知りません。 全く「氣」が付かないところで日本の「力」を知らぬ間に剥奪するようなことをしてしまっているのですね。 たかが字ひとつくらい・・・・・・と言うなかれ、「文字」は民族の文化、「文字」は私達そのものなのであります。 「文字」は生きています。 アルファベットの「記号」とは全く違い、私達、日本人の「文字」は、生きた「命」であることを知らねばなりません。 日本の歴史には、実に素晴らしい魅力がたくさん秘められております。噛めば噛むほど言い尽くせないほどの絶妙な隠し味が出てきます。 戦後、日本人は、そういう深淵で魅力溢れる「知恵」を見失ってしまったようです。 当アカデミーは、このように歴史など、ふり返りながら皆さんとともに自分達に授けられた本当の魅力を探し出していきます。 (H15.6.3) |
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