TOPICS 7

 時知りてこそ花
(世界での細川ガラシャ)
 
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の

花も花なれ 人も人なれ

           
 
日本の短歌とは、どうしてこのように人の心を打つのでしょうか。しかも時空を越えて。

渾身の想いに読む人の心はゆさぶられます。
身の張り裂けんばかりの自分の人生の悦びと悲しみを内に秘めた覚悟。

当時、これを読んだ周辺の人々は、きっと号泣したでありましょう。

この句は、細川ガラシャ夫人の辞世の句であります。

細川ガラシャ。本名細川玉。子猫みたいなかわいい名前ですね。ガラシャは、キリシタンの洗礼名であります。

永禄6年(1563)、明智光秀の三女として生まれ、天正6年、18歳で織田信長の命により丹後田辺城(舞鶴市)主 細川幽斎の嫡子・忠興に嫁ぎました。
大変な美形で慈悲深い女性であったようです。
新婚時代は勝竜寺城で過ごしました。

4年後、天正10年6月、本能寺の変が起きました。
ご存じ、明智光秀軍が織田信長を急襲したのです。

そして、主君の仇を取るため羽柴秀吉は、明智光秀討伐の兵を挙げました。

父 光秀は細川藤孝・忠興父子に援軍を乞いますが、忠興らはこれを断り、羽柴軍に加わって光秀軍と山崎の合戦で戦い、光秀は結局、敗れて近江坂本城に逃れる途中、殺されて滅びました。

玉の実家と婚家が敵対し、実父光秀が殺され、戦国の世のならいとは言え、玉の苦しみはいかばかりであったでしょうか。

父光秀が敗れた後、反逆者の娘として秀吉を恐れた忠興は、玉を丹後の味土野(弥栄町)という山奥に幽閉しました。
夫と別れて約2年、秀吉の許しが出て、大阪城下の細川屋敷に移り住んだのでした。
ここでも夫 忠興は玉に外出を許さず幽閉状態でありました。

ここで玉は心の平安をキリシタンの教えに求めて受洗し、受洗名ガラシャ(神の恵み)となったのです。玉の侍女であるキリシタン清原マリアの影響と言われます。

しかし、日本におけるキリシタンの布教活動が日本攻略の先兵であることが発覚し、それを知った秀吉は、1587年、キリシタン禁教令を発布したのです。

宣教師や入信した家臣 高山右近などキリシタンの追放が始まったのです。

キリシタン禁教令の中、妻がキリシタンとあっては、また、屋敷内にキリシタン侍女など危険分子がいては、秀吉にとって細川家を潰す口実となるわけで、夫 忠興はガラシャを外出禁止にし、ガラシャのキリシタンへの改宗を必死に止めさせようと、彼女の侍女たちの耳や鼻をそぐなど残虐行為を繰り返したのです。

忠興は、嫉妬深い性格からこのような仕打ちをしたと一般的には言われていますが、それだけではなかったようですね・・・・・・

豊臣秀吉が滅んだ後、徳川家康と石田三成が対立。

家康が上杉討伐に向かった際、忠興も加勢しましたが、石田光成は、手薄となった大阪城下の細川屋敷など大名屋敷に対し軍勢を差し向けたのでした。 

光成軍はガラシャに人質になるように命じましたが、彼女は敢然とこれを拒否し、侍女たちを逃がした後、家臣に胸を突かせ屋敷を爆破、壮絶な最期を遂げたのでありました。

人質になるくらいなら爆破して果てよ、との忠興の命令でもありました。

もし忠興という夫が、ただ嫉妬深くて非情な人物であっただけなら、この様な最期となったでしょうか。この様な辞世の句を詠んだでしょうか・・・・・

ガラシャを失った後、忠興は悲嘆に暮れ、自らも密かに洗礼を受けたようでガラシャのために壮大なミサを行い、キリシタンを庇護するようになったのですね。

そして、まだまだ話は終わりません。

日本にいる宣教師たちは、イタリアの総本部ヴァチカン宛に毎度、日本の状況を報告をしておりました。
そして、彼らは、美しく慈悲深いガラシャのことを絶賛し、彼女のこと、その壮絶な最期のことをも報告しておりました。

当時のハプスブルグ家は、その報告を聞いて絶賛し、その話をもとに歌劇を創らせました。
その歌劇の楽譜が、オーストリア国立図書館に保管されていると聞いています。

以後、ハプスブルグ朝でその歌劇の上演が繰り返し行われてきたのでした。
世界史に出てくる有名な王妃マリア・テレジア、王妃マリーアントアネットなどが熱狂して観劇したのですね。

その歌劇の名は【タンゴグラーチア】。(つまり、丹後のガラシャ)

この歌劇の内容は、キリスト教の信仰深い美しい女性が、夫の暴力に耐えながら、人々に慈悲を尽くし、彼女の死後、夫は後悔して神を心から信仰した、というもの。

1698年にはハプスブルグ家大ホールにおいて王妃マリア・テレジアの洗礼祝日に上演されました。

これがウイーンオペラの原型になったと言われているようです。

細川ガラシャの物語は、単に日本国だけのものではなかったのです。
世界を巻き込んだ壮大なスケールの話であったのですね。

歴史を学ぶということは、こういうことなのです。歴史は、スクラップではありません。
歴史は、生きているのです。
(H15.6.5)

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