TOPICS 9
 
” 水は見ている聞いている ”


 みなさんは、水のことを真剣に考えたこと、ありませんか。

おそらくどの人も何となく大事だとは思うけれど、それ以上に真面目に考えたことはないと言われる人が多いと思います。
それほどわれわれの身の回りは、豊富な水に恵まれているのです。
第一に島国で、日本列島の周囲には水が満ち満ちているのですから。

それほど恵まれた環境にあることが、かえってそこに住む住民の無関心を育て、更には「傲慢」を生んでしまったのです。
人間、恵まれ過ぎて育ったり、順風に乗って難なく人生を過ごしてくると、「傲慢」が育つのですね。人間の弱さです。

「傲慢」が育ち始めると、それは自分の尺度でしかこの世を計らなくなります。上から見下ろす錯覚を持つのですね。
「傲慢」という怪物は、貪欲であってドンドンむさぼり喰います。

日本では特に戦後まもなく高度経済成長を背景に、この怪物が異常繁殖して、見目麗しき大地をむさぼり喰い始めました。
その様子を水や植物や大地は、どのような想いで見て耐えてきたのでありましょうか。

「国敗れて山河あり」と言うけれど・・・・・。
この国は、もうその山河でさえもが息絶えつつあります。

「水」・・・・・・この水そのものについて真摯に素晴らしい研究をしてみえる科学者、研究室があります。
I.H.M.総合研究所(所長 江本勝 氏)であります。(著書「水は語る」、「月刊 波動」など著書多数あり)

この研究所は、各地で採取した水を冷凍室のような研究室の中で画期的な「水の結晶」写真を撮って水の生態を研究してみえます。

水は、その置かれた環境によって鏡の如くに、その状態を「結晶」という形で表現するのですね。
驚きました。
水がそれほどに生きたものであり、人間の心も環境も自分自身に映し出して表現しているものであったとは。

口で説明するより、結晶写真をご覧いただければ、一目瞭然であります。
水を氷にしてしまうと塊になって塊でしか写真に撮れず、雪の結晶のように繊細な結晶の写真が撮れないのです。
ここにこの撮影技術の難しさがあります。

誰もがご存じの雪の結晶は、六角形を基本にした実に美しいものです。
水の結晶も同じ六角形を基本に形成されています。自然の原点は、六角形なのです。

各地の名水とかいう水は、それ特有の美しい結晶をもち、反対に、公害やヘドロの地の水は、すべて欠けたり、穴があいたりして醜い結晶となるのですね。
水質の善し悪しが、そのまま水の結晶となって表現されるのです。本当に驚きです。

そして更に驚いたことに、水には「目」と「耳」もあるのです。
例をあげますと、

1 音楽の違いを水は聴き分けています。
  
  同じ水を分けて、それぞれに違う「音楽」を
  聴かせると、クラシック音楽の場合は、
  どれもそれぞれ美しい結晶ができます。
  クラシック音楽の中でも、モーツアルト、
  ベートーベン、バッハなど、作曲者、又は
  曲によっても形成される結晶の姿は全部
  違います。
  
  反対に、ロック音楽を聴かせると、出来上
  がる結晶は、穴が開いていたり、欠けていたり、
  すべて破壊された姿で醜い結晶となります。
 

ベートーベン
「田園」


バッハ
「ゴールドベルク変奏曲」

 2 水は、文字の意味を理解しています。 

  同じ水を分けてそれぞれに違う言葉を見せます。
  水をいれたビンに
「ありがとう」とか「愛」とかの言葉をかけ続けたり、そのように書いた紙を
  貼っておくと、すべて  それぞれ美しい結晶が出来上がります。
  
  反対に、
「ばかやろう」などという汚い否定的な言葉をかけ続けたり、そのように書いた紙を
  貼り付けておくと、すべて穴があいたり、欠けたりして醜い結晶が出来上がるのです。

  また、
「しようね」という言葉と「いけない」という言葉でも同じ結果が出る のですね。  

 
「ありがとう」


 
「ばかやろう」

3 愛や感謝の慈しみを受けた水は壊れないのです。
  
「愛」「感謝」の文字を見せた水と見せなかった水にテレビ、パソコン、電子レンジの電磁波を浴びせると、「愛」、「感謝」の  文字を見せなかった水は無惨な結晶となり、「愛」、「感謝」の慈しみを受けた水の結晶はほとんど壊れないのです。
  人間を育てるのにも全く同じことが言えるのですね。

 

 こういう「水」のメカニズムを目の当たりにすると、「水」は見ている、聞いている、生きていることが解ります。

日本では古来、水面に映る月を見て、清い水に映る月は清く、濁った水に映る月は濁る、と説きました。「水」は「鏡」であり、人の「心」を映す「心の鏡」でありました。

それは人々の優れた感性があったが故に、そのことを感知できたのだと思います。

科学的に水を観察できるようになった現代において、人々は本来持っていた、そういう優れた感性を失なってしまったにもかかわらず、逆に水自身が生き物の如くに人の心を見たり、聞いたりして、それを自分の姿に映し出していることを日本人の科学の手によって明らかにされたことは、日本人にとってまさに救いではないでしょうか。

人の体の約70パーセントは水でできております。
つまり、体のほとんどが水だ、ということになります。
ならば、人の意識とは別に体の水は、独自にも見たり、聞いたりしている訳です。人の意識は欲望などで横やりが入りますが、体の水は正直にそのまま環境を表現します。

意識が自分勝手な破壊的な環境を創ったり、環境破壊の行動を起こしたりした場合、正直な体の水の結晶は、奇形を創ります。つまり、病気になるのですね。

逆に、心身ともに健康であろうとすれば、体の中に綺麗な結晶の水を取り入れれば良いわけです。至極当たり前のことです。

70パーセントの水を綺麗に保てれば、健康でいられるのは言うまでもありません。

そこで綺麗な水を作るためには、どうするか。
自ずと知れたこと。
山や川、海を汚さないように汚染物質を垂れ流さないようにすることです。

生活環境が、見た目に綺麗だから汚さない、と言う表面的な次元の話ではないのですね。

目に見えない世界では因果応報の鉄則が歴然と存在します。

そして、「宇宙の根本原則」が、実は「愛」という言葉で表現される波動であることがよく理解できると思います。
水の結晶の美しさを見たら、きっともう水を汚そうなどという
「氣」は起こらないと思います。

是非、水の結晶の様々な見事な「美」をじっくりご覧ください。
そして、「水」に感謝の念をもって大切にしましょう。
(写真:江本勝著「水は語る」より) 

(H15.6.24更新)


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